《マハストラマプラプタ》
運命について話しましょう。
人にはいつの瞬間も、幾千幾万もの数え知れぬ道がある。そして、いつも一つの道を歩む。何れの時でもある。
運命と言われるものは、結果が出て初めてそう呼ばれるように、まず何事にも原因がある。そして、事物が起こる。この事物の発起に連なり、結果が生まれ、そして、その報いがやってくる。これらは一連の流れである。
この運命という報いを絶つなら、まず原因を絶ちなさい。この運命を見極めるには、まず原因を見極めなさい。
そうするならば、すべてのことにおいて、自ずからこの因果応報が成り立っていることを知るだろう。
結果に悔やむ前に、努めて原因を見極めよ。何れの時でもある。その際を交わそうとするなら、次のことに心がけよ。
いつ何時であれ、まさに太陽の日々燃ゆるが如く、常に獅子の心を持て。そして、次のことを忘れるな。我は、時である、流れである、偉大な物の一部であり、そのすべてであると。そして、己のため、つまりは尊い存在すべてのために尽くせ。
汝は知るであろう。存在は流れであると。流れに帰着するものが即ち、運命である。
ここにおいて汝らは成すべき事が見えて来るであろう。そして、その報いを知るであろう。存在と同化すれば即ち、流れに同化すると。そして、流れに同化すれば運命と同化すると。そして、その報いとして、運命をも見極め操り得るのである。そして、ここにも因果応報が成り立つのを知るだろう。
虚空の目を持て。ありのままを見よ。
神にも至ることが出来る力を、それを持てるということを解くがよい。
輪廻について語ろう。そのときに高次の世界に生まれるか低次の世界に生まれるかは、実に因果応報の如くである。人が神と生まれもすれば、神が畜生に墜つことすらある。神であれ、人であれ、修羅であれ、餓鬼であれ、畜生であれ、地獄の亡者でさえも、この流れに入り込む。
神と呼ばれるものには色々とあるが、その中でも我を如実に知り、日々心がけ、永遠に等しく命を持つ者の数は少ない。
法はすべてである。如実より来る者は輪廻を抜け出し、まさに法を知る。俗に、解脱や涅槃と呼ばれる。永遠の命なのである。
太陽は何れ消滅するが如く、生まれるということ、生まれ変わるということは、生きるという利点がある。



























